『思いがけず利他』は、利他についていろいろな方向から考えられる本です。
著者によると、利他とはオートマティカルに行われるもの、受け手によって決まるもの。落語やケアの場面での利他、仏教の考え方などから、利他とは何かを考えます。
★ 『思いがけず利他』 の要約ポイント★
・利他はオートマティカルに行われるもの
・利他になるかどうかは受け手次第
・利他は偶然への認識によって生まれる
この記事では 『思いがけず利他』 の要約と感想を紹介します。
目次
要約①:利他はオートマティカルに行われるもの
『思いがけず利他』では、まず落語の「文七元結」を題材に利他を考察しています。
落語の「文七元結」のざっくりしたあらすじ
長兵衛はばくちにのめり込み、娘が身売りしようと吉原に身を寄せた。吉原の女将が生活を立て直すために長兵衛に50両を貸し、期限までに返さなければ娘を店に出すと伝える。長兵衛は真面目に仕事をしようと改心するが、帰り道の橋で身投げしようとしている若者に出会う。50両を盗まれて身投げしようとしている若者に、長兵衛は悩んだ末、50両を渡してしまう。
最終的には、若者の主人のもとに50両が返ってきており、長兵衛にお金を返し、娘も帰ってきます。
ここで、なぜ長兵衛は若者に大事なお金を渡したのか?について落語家で解釈がわかれます。
解釈A:若者に共感したから渡した
解釈B:江戸っ子気質、偶然や運命
解釈Aでは、若者の境遇に共感したから渡したと考えます。ただ、共感をもとにした利他は、助けてもらうには共感されなければならないという強迫観念を与えるかもしれません。
かわいそうだから助けてあげよう、良いことをしよう、というのは自力の利他です。
解釈Bは、出会ってしまったから仕方ない、帰りにこの橋を通ってしまった運命と考えます。どこか自分の力を超えるものによってオートマティカルに行われる他力の利他です。
立川談志は解釈Bを選択しています。
「落語とは、ひと口にいって『人間の業の肯定を前提とする一人芸である』といえる」
立川談志の落語論によると、人間のどうしようもなさ、小ささを認め、存在そのものを肯定するのが落語だそうです。
仏教でいうところの業とは、私の力ではどうにもならないものを指します。仏教では”無我の我”(変わりゆく私)、人や考えなどいろいろな出会い=縁起によって私は変わっていくと考えます。ということは、業によって自分が変わる可能性がある。ふいにお金を渡してしまうように、利他は衝動的な行為です。
自分はどうしようもない人間である。そう認識した人間にこそ、合理性を度外視した「一方的な贈与」や「利他心」が宿る。この逆説こそが、談志の追究した「業の肯定」ではないでしょうか。つまり、談志がつかもうとしたのは、人間の力を超えた「浄土の慈悲」であり、「仏の業」だったのではないでしょうか。
要約②:利他になるかどうかは受け手次第
利他は支配に変わる恐れもあります。
「相手が期待した反応をしないと」、「何かお返しをしないと」など、相手に負債感を与えてしまうこともあるのです。介護などケアをする側とされる側では、利他的なケアが支配にならないように気をつけなければなりません。
利他は時に目立たないものです。しかし、誰かが活躍し、個性が輝いているときには、必ずその輝きを引き出した人がいます。利他において重要なのは、「支配」や「統御」から距離を取りつつ、相手の個性に「沿う」ことで、主体性や潜在能力を引き出すあり方なのではないかと思います。
ある行為が利他になるかどうかは、受け手次第です。
良かれと思ってやったことが喜ばれなかった経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
つまり、「利他」は与えたときに発生するのではなく、それが受け取られたときにこそ発生するのです。自分の行為の結果は、所有できません。あらゆる未来は不確実です。そのため、「与え手」の側は、その行為が利他的であるか否かを決定することができません。あくまでも、その行為が「利他的なもの」として受け取られたときこそ、「利他」が生まれるのです。
また、そのときはその行為の利他性に気づかなくても、後から気づくこともあります。「あのときはわからなかったけど、先生のひと言に支えられていた」というように、与え手にとって利他は受け手が気づいた未来からやってくるものです。
受け手が利他を受け取ることで、与え手を利他の主体にできる。受け手は一方的に与えられるだけの利他の対象者ではなく、利他を発生させる要でもあります。
要約③:利他は偶然への認識によって生まれる
利他をしようという気持ちが生まれるのは、偶然性を認識しているからです。
私が私であることの偶然性、私がその人のようになっていたかもしれないと思えると利他が生まれます。
ここで言えるのは、「利他は偶然への認識によって生まれる」ということです。私の存在の偶然性を見つめることで、私たちは「その人であった可能性」へと開かれます。そして、そのことこそが、過剰な「自己責任論」を鎮め、社会的再配分に積極的な姿勢を生み出します。ここに「利他」が共有される土台が築かれます。
今の自分はたまたま与えられたもの、生まれた場所・時代・家族・持って生まれた身体や能力などはすべて偶然です。偶然だと思うことは、無に向き合うことであり、自分はそもそもいなかったかもしれないという可能性を認めることになります。
私は、私をめぐる「偶然」を、意志を持って引き受けることで、私を生きることができます。私を生きることは、私という偶然的な非贈与性を受け入れ、運命を能動化する作業です。
ー受動こそが能動。
そんな反転した構造が、生きるということの根底にはあるようです。
自分がそもそもいなかったことを想像するのは怖いですよね。でも、自分のことを過信せず、相手のことを自己責任だと責めすぎず、支配から距離を取って他力の利他を実践するには偶然性への意識が必要です。
『思いがけず利他』 の次に読むなら?おすすめの本3選
『思いがけず利他』 とあわせて読みたい3冊を紹介します。
①『「利他」とは何か』
美学者、政治学者、批評家/随筆家、哲学者、小説家という、ジャンルの違う視点からの利他の捉え方を知ることができます。
善意の押し付けでない、他者をコントロールしないよき利他とは、相手への信頼があります。
『思いがけず利他』の著者の中島岳志さんも、著者の1人になっています。
参考記事:『「利他」とは何か』の要約まとめ:純粋な利他は個人の意思を超えたところにある
②『実力も運のうち』
生まれつきの才能や環境の不平等さはあるから、実力も運だとして謙虚にならなければならない。
謙虚さを忘れたとき、恵まれた者と恵まれなかった者の分断が進みます。
関連記事:【要約】実力も運のうちー能力主義は正義か?ー能力主義のデメリットとは?
③『なぜ人と人は支え合うのか』
障害者を通して、人と人とのあり方、社会のあり方を考える本 。
価値がある/ないとはなにか、自立とはどういうことかを考えることができます。考えるきっかけも、障害者が社会にもたらしてくれる価値なのかもしれません。
参考記事:『なぜ人と人は支え合うのか』の要約と感想:障害について考える
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